✨星の数ほど ある想い✨

☀️☔️心おもむくままに✨写真・フとしたつぶやき・poem(過去作多め)

とても長い 嘘のような本当の話

★(自分の夫の)「共依存症」の脅威

ある時から 私は何もかもが虚しい(無駄)と思えてしまったのは

何を言っても 何を聞いても 何をしても

 

「へぇー それはよかったじゃん」

「何言ってるのかわからないな」

私のどんな言葉も 返事ではなく 質問に対して意味のない そんな言葉に飲み込まれ 打ち消されて行く

 

何回となく 私の質問に対して

同じ言葉しか発しない相手の その行動と言葉の異常に気づいたのは ここ数年のことなのだ

 

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ここからは 作り話のような本当の話。

 

私たちは 彼のたっての希望で 書面出しただけの夫婦

別に憎み合ってるわけでもなく 

車の話や旅の話 趣味の話など 気が合う部分も多くあり

外面的には違和感のない普通の夫婦。

 

だから別に 苦痛でもなかった

 

だけど

休暇でどこへ旅をしても なぜか必ず後方に付いている車があり

時には 対向車の隙間を 嬌声を上げながら至近距離で追い越して行く

 

それを咎めもせずに 笑って見過ごす夫

 

行く先々で車を停める毎に 移動しては後ろに停める同じ車

 

夫がどこかへ出かける日は

私の動向を監視するかのように いつも一台の車が後ろに付く

不審に思って同じ場所を三回回ったら 三回とも回ってついて来た

(まるでバカ)なんて暇人たちだ。

表情が確認できるほど車間を詰めて 煽って来る事もしばしばあった。

 

もちろん その日の私の行動は 伝えずとも夫は知っていた

 

そういうことが重なり 不信感が拭えず ちょうど6年前に

他府県に住みたいと言った私に 俺は行かないと言うから 

「ちょうど良いわ。この際離婚しようよ。元々あなたが普通に彼女が作れるまでと言う約束だし」と言うと 翌日 彼女たちの理解が得られたのか(ここは私の憶測)「俺も一緒に行く」と この地に引っ越して来たのに。

 

1ヶ月経たずに近所のハイツへ追うように越して来た例の女性2人。

イヤ 私が知る限り 3人だ

夫の前職の職場の人たちだった。

 

その人たちが引っ越してきた裏のハイツは

我が家の玄関先やガレージなど全体がよく見える すぐ裏側にある。

 

夫が帰宅すると見ていたかのように. 数分感覚でメールの音や

電話の着信の音

音量を上げているスマホを 夫はそばに居ても取ることはなく

一定間隔で切れては鳴り続ける

 

7回の連続の時も 8回連続の時も 「煩いから取れば?」と言うと

横目で笑うだけで放置する。

 

24時間営業のスーパーに 仕事柄 真夜中や早朝のどの時間帯に

行っても、彼女たちの誰かが居て あからさまに こちらを見ては

ニヤっと笑う。それは害がないから良い。笑ってろバカ、的な私

ところが ある

真夜中のスーパーの入り口で 混雑もしていないのに 後ろから

強く突き飛ばされて 危うくカートごと壁に激突しそうになり

その時は幸いにも 前からちょうど出て来られた男性客が 咄嗟に

カートと私を受け止めてくれたので 事なきを得た。

 

私はその人に 支えて下さった時に怪我などなかったかを尋ね

お礼を述べたが、それを見ていた夫は「あぶなかったな」と

ただ笑うだけだった

 

彼女たちの日頃の行いの不審さもあって

私を突き飛ばして走り去った彼女を追った。3人のうちのどれだ。

 

追いついて その目をジッと見つめてみても

私を見つめ返しているその目の中には

恐怖も嫌悪も憎悪も浮かべておらず また決して虚(うつろ)でもなく

ただ 視線をこちらに向けているだけで 意思が何もない目をしていた。

 

その目の奥に何かが見えたら意図が読めるのではと思ったけれど、

何の意思も読み取れない目をしているとは、これは一体何なのだと

不思議な感覚がかえって不気味だった

 

後に私が それらの異常さに気づいた時は 対策を講じるには

すでに遅かったのだけれど。

 

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🔷「共依存」ってご存知だろうか (依存性パーソナリティ障害)

 

先に述べた夫と彼女たちの行動から見た、現在 特に多いと言われる 他人を巻き込む厄介な精神疾患である

 

以下は 私が彼らを観察した事実。教科書通りだった事実。

 

Aは 自己の確立ができていない故に 相手に影響され

長い時をかけて精神をコントロールされてしまっている

 

Bは 傍目には 自らを犠牲にして相手を助けたり、世話をしたりする良い人、

無意識のうちに、自分が相手にとって必要な人であるとアピールして

見返りの気持ちを期待する。

(それによって相手をコントロールしたい)

(押し付けと善意の区別がわからない行動)

 

特徴:無償の思いやりと見せかけて 気持ちの見返りを期待しており、

それが返ってこない時は 不信感を露わにする

 

「自分がいなければ 相手はやって(生きて)いけないと思い込む」ことによって、自己価値を見いだそうとする心理的な動き=相手のプライバシーを知りたがり 悉く口を挟む

 

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後に知ったのだが コントロールされる側(A)の症状の中には、

共依存状態の相手と 同じことをすることが多い。

そして

AとBは互いが身近に感じる場所 常に見える場所 気配や話声が

聞こえる所にいないと不安になる

 

そして その不安が極限に達した時には 異常行動(夜な夜な我が家の庭に入ってきて家の周りを歩く・凶暴になるなど)が現れ、大声で怒ったり笑ったり、遮るものを壊して(窓外の日除を引きちぎるなど)まで 近づこうとする・窓下でスマホの操作音が聞こえる💦

  ↑↑ これは時々犬の散歩で近くを通る友人が教えてくれた


<主にBの行動>

ただし、普段は他の人からは 完全に普通の状態に見える行動をする。

他人がこうしたら喜ぶと想う自己満足な行動をし 感謝されることを望み

それをずっと繰り返す

 

そして 依存相手(A )の家の近くへ近くへ 相手の動向が見える場所へと

近づいてくる

その手管の巧妙さは やっている本人の意識以上の行動をしているようだ

 

目当ての周りの家の家人に上手く取り入り、その自宅に楽に出入りできるまで近づく。現に我が家の前後ろのお宅(前は老後夫婦/後ろは幼い子供がいる若い夫婦)は何の疑いも持たず 休暇も親しげに過ごしている。

 

我が家の帰宅時間 家のライトがつく時間、消える時間……

我が家の就寝時間(ライトが消える時間)同じ時間に眠るつもりらしい。

ターゲット(共依存相手)により気持ちを近づけるつもりらしい。

 

そうして 近づかれ 心が離れられなくなっていく相手(A)は、

今までしなかった仕草などを突然し始めて(例えば男性が女性の

仕草を繰り返す/時には 相手(B)が腰痛を訴えたら その期間中 自分も

腰が痛いと腰椎ベルトを巻き 一緒だと子供のように喜ぶ )

 

それを続ける事で 互いの想いを共有しているつもりになる

 

Bが命令(こうすれば良いと口出し)する通りに動き 話す。

現在では、どんなに近くでも家族で出かける時は マップの共有ボタンをわざわざONにして出る

 

つまり 間違った「親切心」や「仲間意識」だ。

 

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そして ターゲット=共依存相手(夫)の妻である私への攻撃が始まった。

 

(後日 カウンセラーから聞いた話 含む)

ネット内外で誹謗中傷(ある事ない事)の話を繰り返して 第三者を信用させ

邪魔者(私)をこの場所から排除しようと試みるのだそうだ

 

 私の育った環境は決して裕福ではなかったが いわば 古い仕来たりや

いわれや身内や意識などに厳しく、内輪の話を安易に世間で口外したり

愚痴などを溢すことを恥と教えられて育った事で 自分自身のことですら

他人に話す事はしなかったのだけれど、近年の そういった思い余る事も

あり、私は一時期 ウッカリぽろっと近しい知人に話した事がある。

 

ボーナスも、年に2回会社から支給される高級和牛も、我が家には来ない。

全部彼女たちの手に渡る。

 

別に買えば同じものが手に入るのだから、お肉が欲しいわけじゃないが

ある時 「いつものお肉は?」と夫に聞いた

突然大声で「そんなもんあるか」と怒鳴り倒された

別に怖くないけど。

それでも おかしいと言ったら、翌る日 スーパーのトレイに乗った

グチャグチャの肉を 高級肉屋の包装紙に包み変え その風呂敷にいい加減に包み直したものを、帰宅してすぐにポイっと投げつけられた。

 

そろそろ 誰かにせめて聞いて欲しい 相談したい、 と

私は心が悲鳴を上げはじめていた。正直 そんな自分の心が怖くなっていた。

自分だけでは解決できない状態に陥っていた…   だけど

 

知人や他の人の答えは 即

「妄想でしょ」「君の嫉妬だ」「精神疾患は君じゃないのか」

「考えすぎだ」「彼を疑う故の君の妄想だ」

「彼がそんな事あるなんて信じられない」等々。

 

ハッ 嫉妬だけは ないわ(笑)と思いつつ、皆の言葉がある意味恐い

 

私は別に 同情して欲しいわけじゃない

自分が可哀想だと思って欲しい訳でもない

慰めの言葉や同意が欲しいわけでもない

 

だけど

外面だけは200%良い夫は 他人の心を溶かしているらしい。

知人には当然のように 私の想いはわかってもらえなかった。

 

その後、思い余って

病院勤務時代の友人の知り合いの 精神科のDr.に、今に至る身内の現状と、

友人から言われた事を話し もしかしたら 自分の考え方が本当に異常なのか、

自身の精神状態が皆の言うように変なのか、調べてほしいと相談した。

 

夫とその友人達に対して もう私が成すべき事がわからなくなり、

それによって 己の精神状態に何らの影響があるのかどうか

 

私の診断結果は 幸いにも 

 

「今はまだ」『正常』との事。 それだけでも安堵した。

 

そして 今後のアドバイスを受けた

 

彼らの症状は おそらく 色々な精神疾患が重なり繰り返す「共依存症(依存性パーソナリティ障害)」 であろうと。

きちんとカウンセリングをしてみないと決定できないが。と。

 

それは

本人たち個々の自覚と意思でカウンセリングを受け

長い時間をかけて意識を改善するしかないのだという。

 

「彼らのことは もうプロに任せて 君は自分の事をもっと大事にしなさい

 

その言葉の重みを受け止めようと それから時間をかけて 私は今までの家庭の状態と自身の心の整理をしてみた

 

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元は

彼の母が亡くなる際に 不意に私に電話がかかってきた

後にこの事を彼に話した時 全然知らなかったと言う

 

「厚かましいとお願いとは思いますが、人並みの恋愛を 私のために抑えてきたあの子の心に 暫くでいいのでどうか寄り添ってやってほしい。」と言われた。

 

付き合っている彼女でもない 年齢も彼よりかなり上、住まいも遠い私に託す

生死の境を彷徨う母親の願いを 断ることなどできない

 

取り敢えず その言葉に頷いた

 

自身も子育てをしてきた経験上、

親としての気持ちに共感してしまった事もある

 

彼が二十になった時 酒乱で暴力的な父と病に侵された母の心を守る為に

離婚させ 気のみ気のままで連れて家を出たらしい。

 

そして親の長い闘病生活の医療費と生活のために 自分の趣味(車 バイク)を

捨て 時間の節約のために恋愛を断ち、働き続け 病(心臓弁膜症にて呼吸器必要)で 不遇の母に 寄り添い続けた彼の青春が 母を失った事で空虚になり、持ち堪えられなくなるかも知れない心の葛藤は目に見える

 

少しでも穏やかな日々を過ごしてもらえればと、単に見守る意味で寄り添った「縁」でもあったのだが。

 

 

今思えば 私などが彼に寄り添うとか 支えるなどできるはずがなかった。

 

そう、彼自身の「共依存」の根は もっと早く(子供の頃)から

もっともっと深い所にあったのだから。

 

彼はアルコール依存症の父に虐待を受けて育った「アダルトチルドレン」だった。

母親は 彼が殴られ続けるのを見て見ぬ振りをしたのだそうだ

 

その母親も不遇であったのだそうだ。

砂漠のある県の裕福な家庭に生まれたにも関わらず 食糧のない時代に身籠っていた母の親は、空腹に耐えられず鶏の卵を食べたのだそうだ。

 

それを義母(彼の祖母にあたる)に見つかり 「そんな卑しい事をして生んだ子供は捨ててこい」と 当時孤児院の前に生まれたばかりの子を置き去りにしたのだと言う(成人した時 父が亡くなったと知らせに来た母親に聞いたらしい)

 

だから彼の母は 誰にも逆らわず自分の幸せに執着したかったのだろうと彼は言う

そして 彼はそんな自分の境遇を自ら告白して 仕事の合間の都合を作っては 病院に行き専門家のカウンセリングを最後まで受け通している。

 

そんな意志の強さを持った彼が 今… 周りの人と共依存症に…

 

・・・これは私がせいなのだろうか 

何が悪かったのか 何が足りなかったのか

と 何度も考えてしまった。

でも、

もう出来ることがないなら 離れよう。

 

私は最初から 彼がどうしても必要だったわけではない…今も変わらない

思えば それも問題だったのか。

 

ーーーーー

 

彼らの共依存の症状とその仲間の人数や 行動のエスカレートに、

私自身が 必死で保ってきた己の心身の天秤に 大きく負担を感じてきた

昨今、我が身を守るためにも 彼と離れることの重要さをやっと理解した

 

元々書類上だけの夫婦で それも彼の会社への体裁で籍を入れた。

実質 夫婦じゃない

 

と言うと 誰にも信じてはもらえないけれど。。事実だ。

 

もう私が彼に対して 何も出来ることはない

私は着々と身の回りの整理を始めている。

 

自身ももう若くはない

体力だって気力だって 思うほどには付いて来てくれない

 

言い訳みたいだけれどもう良いかな、と。

私にできることはもう無いのだ と。

 

彼らが患う共依存症の末路は厳しい。

 

けれど

彼ら自身それぞれが 自覚するしかないことだ。

そんな自分を受け入れて どうか負けないで

辛くても闘ってほしい と祈る

 

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今後は、元来の私である事に戻るだけ。

 

もう、妄想だ ただの嫉妬だ 精神疾患はお前だ、と

誰にも言われることは無い

 

あと何年か

この生命あるうちに 自分のやりたい事に

集中しよう😊

 

元のように 行きたいところに行き、やりたい事をやろう

 

ただし、若い頃のように 車でどこまでも走るということは

体力的にも気力的にも無理だけれど

 

心も身体もずっと自由になる。

昔連んだ友人たちと 年齢なりの楽しみ方もできる

そう、私は

つい数年前まで 嘗て出来ていた「自由な行動」のできる生活に戻る

 

😁それがすごくすごく嬉しい

 

そして それに負けなかった心を授けてくれた 亡き祖母と両親に感謝しながら、残りの人生を自由に楽しもうと思う。に寄り添うとか 支えるなど
できるはずがなかった。元来の私である事に戻るだけ

SNS

 

息をするように嘘をつき

気に入らない者を貶めては 

周りの人を取り込んでいく

 

人を貶める為の 噂を流す者の殆どは

己の都合の良いように語る為 本来なら

真実としては受け入れ難いものが多いものだが

それを真に受ける者も少なからず居るもので、

 

そんなふうに 以前から何度となく

繰り返される嫌がらせには 慣れることはなく

 

嫌な想いを飲み込む術すら 尽きた

 

 

もしも私自身が誰かの噂話を耳にしたとしても

そういった言葉を鵜呑みにして

真実を見失ってしまわないように

その噂の的とされている人物を

自身の目と耳と心で

確かめ 判断するようにしている

 

けれども 噂話の好きな人たちは

貶める相手は誰でも良く

話に尾ヒレヒレをつけ

嬉々として 仲間を増やしていく

 

そういえば 一番最初にTwitterを始めた頃も

(相手は同じ人<女性>だが)今と全く同じだった

 

気づいたのは 私の撮影した写真を自分の画像のように

シラっとツイートしていたことを指摘したことに始まる

 

 

その後が凄まじかった

まるで異常なほどの猛追

 

TwitterDM機能を使い こちらのフォロワーと

親しくなり 何を言ったのかどうしたのか

そのフォロワー(男性)も面白がるように

会話をコピペしては向こうに渡し 向こうの会話を

コピペしてはこちらに送ってくる

 

この時点で 私はフォロワーの数人を切った

 

そうすると今度は

HNを変えて いくつもサイト作り

知らぬ顔をして近づいてくる。

 

その人たちは また

無いこと無いことをどんどん広め

こういう事は もう止められるものではなく

 

周りの人も 何が正しいのか間違いなのかすら

わからないままに面倒ごとには蓋をする 的に

私と関わらなくなってきた

 

その行為は 私のTwitterの全てについて回ってきた為

ついに私はTwitterを閉めた

 

それが4年前

 

 

そういう噂話に一切目を向けなかったのが

バイクのサイトの人達(もう10年来の友人たち)

もちろんTwitterをしている人も居たけれど

男性も女性も 変わらず色々な話をしてくれる

 

そして今

新たなHN Twitterを開始した私は

フォロワーさんの興味あるお話や 素敵な写真が

見られる喜びに浸っていたけれど またもや

同じ人が水面下で動き始めたと 友人から聞いた。

 

今回は 関わらずにずっと無視をして来たが

これもいつまで続くのか

 

  くだらない  浅ましい

 

どんどん疑心暗鬼になっていく

 

そんな中でも 己自身がせめて

人の道を踏み外さないようにと 改めて心に誓う

 

私よ 決して惑うことなかれ

涙のわけ


  
叶わないと知りつつ夢を追う私

それでもいい
今でなければ きっと 
一生言う事ができないと思ったから…

 …だけど

過去の
幸せな時間の中に埋めたはずの小さな不安は
今もまだ 幸せの色には染まってくれなくて
ほんの時々 心の底をコトコトと騒がせる

人は
物事の最初 多くを望まなくて
ただ この気持ちを持っていられるだけで
幸せだと思えるのに
時と想いを重ねていくと  どうして
こんなに我儘になるのだろうか

とても贅沢で そして こんなにも弱くなる

信頼できるとか できないとか
それ以前の問題で

人の心なんて見えないものだから
たった一つの小さな不安の種が
芽吹いてしまうことを恐れて いつも
いつも 何かが怖かった

それでも想いは止められなくて
それが歯痒くて  フと涙を流す
 
この空の下に居るのだと想うだけで
幸せな気持ちになれる それだけで
とっても嬉しいのに
 
そんな日常を 重ねすぎて あるキッカケで また
失う事に怯えるようになった…

なんて贅沢で  そして 人はこんなにも弱い…

その不安の種を
どうやって捨てるのかすらわからないままに
また 私は涙を流す

最後まで流れ切ったら きっと また
笑顔になれるよね…
 
今までも 何があってもずっと そうだった
きっと 私らしく 笑顔になれる
 
そうやって 今まで生きてきたのだもの

命ある限り この心は死なない きっと

 

キラキラドライブ

夏の日差しが近づく午後

2年前 中古で買ったチビ車

気に入ったので まだまだ乗りたくて

車検を通したった

 

確かに

小さいなりにパワーはあるのだけれど

安定感もあって スムーズな加速もあって

滑るように走るのだけれど

乗り心地も悪くないのだけれど

 

パワー全開ならぬ

ウインドウ全開で 駆け抜ける

ニコニコ快適 湖畔の道路

 

BGM

耳に馴染んだエンジン音

小さいなりに いい音してますねぇ

 

目深に被ったキャップから覗く

少し伸びた前髪が 風に揺れる

 

フと見たら すれ違うバイクが 

車の私にヤエーしてきた

 

あれは きっと

私がよく知る人だ

 

十個も年下なのに なぜか懐かれてる

世界七不思議の一つなアイツ

 

そんなこんなの

やけに心地よい夕風の刻

 

湖面に落ちた光も影も

後ろに流れて飛んでいく

 

いつもの事だけど

お腹空くのも忘れて

ずっと走っていたい

 

日曜日の誘惑

 

その先に 最高に素敵な

未来があったら  いいな

つづら尾崎より

 

幻影

長い時間 一緒に居すぎたら

 

時々 お互いを大切にできなくなるのだろうか

 

 

そのまま サヨナラする事もあるのだろうか

 

 

それは もう 最初から

 

愛とか 恋とか 思いやりとか 何も無かったように…

 

 

どちらかが悪いとか 何が正しいのかとか

 

それすらも 何も無かったと言う事

 

 

陽炎みたいにユラユラと

 

白昼夢のように曖昧で

 

通り雨のように気まぐれな

 

 

そういえば 最初から

 

その一つもなかったような

 

 

 

きっと

 

無かったのだ

 

きっと

幻影



 

 

ある日

ドンっとぶつかって 反射的に 

「あっ すみません!」と顔を上げて

前を向いても ネクタイしか見えない

 

なんとは無しに 頭のテッペンのつむじに視線を感じる

私の身長156

勇気を出して顔を上向けたら

 

自分よりかなり上に頭がある無表情の男性に 

上から目線?(身長差)でジッと見られ  ムッときて

ぶつかった瞬間の距離のまま 首を上げて

負けじと ジッと見返したった

(意味もないのに意地だけで)

 

上を向いているのはしんどくて そのままコトンと首を戻したら

また胸に当たった

 

「フッ」と笑われた気配

そこで初めて「近い!」と感じて一歩後退り また見上げた。

 

口元を手で覆い 顔を逸らして思いっきり笑いを堪えている様子の

男性が 『いえ、こちらこそ』と 言いつつも

まだまだ笑っているらしい目が 挙動不審に泳いでいる

 

街角で起きた 顔も覚えていない通りすがりの人との

出来事を 時折思い出す

 

あの時

なんで笑われたのだろう