1995.1.17 回顧
あぁ もう今日で28年経つのだな…
やっぱり今日もその時間に目覚めてしまった
その朝 私は出勤の準備のために ちょうど起き上がった時だった
地の底から何かが走ってくるようなズズズズッとした響きと
間をおかずに突き上げるような激しい揺れ
地震だ❗️咄嗟に身構えた
思わず 震源地かと思うほど大きな音
すぐに点けたTVのニュースは、テレビ局の内部や局の定点カメラの映し出す映像だった
徐々に映し出される被害の状況は神戸の街
神戸には看護学生時代の友人が二人
一人は病院勤務 一人は親の介護中の主婦…
即座にそれぞれに連絡をしたけれど ずいぶん後に連絡が来たのは 介護中の主婦をしている友だけ。
後にわかったことは、彼女の住まいは一番被害の多かった街だった。
彼女の夫は当日は夜勤で不在 その後も任務で帰宅できない状態だった
そういう事情もあり 日頃から何かの出来事(隣近所の火事や 災害)の折に 身体の不自由な義母を連れ出せる手立てをいく通りも考えていた彼女は、自身の身体中傷だらけになりながらも 度重なる揺れで全壊した自宅から火に追われつつ ギリギリで親を連れ出し 避難していた。
私がその後 しばらくして、応援体制で赴いた現地は より息をのむ惨状だった
成す術もない…と言うのはこう言うことなのか…
けれども
途方に暮れる暇もなく 眠ることすら惜しいと思った日々だった
それから半年後 現地在住のもう一人の友の訃報を知った…
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突然に起こり得る災害の前には 人は無力だ
だけど 防災は人の力で無し得ると思う
そこから立ち上がる人の心は無限に強いのだから。
長い時を経て 今 街はまた息をしている
震災の爪痕は 徐々に見えなくなっていくけれど、志半ばで犠牲になった友や そこに息づいた人々の無念さを思い、その教訓を活かし 災害への意識を強め 防災に力を注ぐ政治を望む声を 大にして叫び続けたい
今 生かされている私たちが伝え続けなければならない事だと思う
… … …
(自サイト掲載文から部分移稿)
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